マドゥンガンジ(3)

 バヤノ湖に注ぎ込んでいるピリア川を遡っていくと、観光客はおろか、パナマ人も入っていない地域の中に、一つの部落があります。先住民族のクナ族が居住するピリア部落です。かつて、スペイン人と戦った跡としか見られない城壁の上にあり、行くには崖を登っていかなければなりません。戦いの歴史に戻ったような錯覚に陥りながら、妻と部落を訪れました。パナマ市から部落へたどり着くまでの顛末を妻が紀行文にしています。それを三回にわたって掲載します。

 

   イグアナを食してしまいました

  家に、毎週庭の手入れに来てくれる人がいる。

クナ族のクラウディオである。三十歳を少し出たぐらいで、よく話す気のいいひとだ。マリーというクナ族の奥さんとの間に四人の子供がいる。一度何かで家にマリーが来たことがあった。何歳か詳しいことはわからないが、未だ幼な妻のように見えた。

 クナ族の風習によると、女の子ははじめての初潮に村でお祭りをする。女の子の親は、全財産をかけて村人にごちそうをふるまう。「チーチャの祭り」といい、女の子の成人式のような意味合いがある。その祭りが済んだら、いつでも結婚可能となる。娘に気のある男は、夜這いをしてくる。娘が気に入らなければ、追い返す。気に入ったらそのまま娘の家に住み着く。しばらくお試し期間がある。夫婦となり家庭を築こうという意思が双方にあれば、娘の親が登場し、新しい家族として娘の親たちと一緒に、またはすぐ近くに新たな家を作り住み始める。特に結婚式というのはやらない。

母系社会であり、妻型居住婚という家庭の形態である。総じて早婚で、子どもを産む数も多い。まだマリーはせいぜい二十歳そこそこだろう。この先何人の子供が出来るのだろうか。時折他人事ながら心配になり、それとなくクラウディオに家族計画ということを話したりしてみるのだが、こういう話は夫より奥さんのほうに話すべきことであり、しかし、マリーはクナ語しか理解できないので結局、

 「セニョーラ、 またマリーが妊娠しまして。」

ということになってしまっている。

 

そのクラウディオから耳寄りな情報を聞いた。イグアナの産卵時期が一月から二月にかけてで、この時期が捕獲に最適だということだった。

イグアナは爬虫類。特に有名なのが、ガラパゴスのイグアナ。体長三メートル以上に及ぶ。パナマに生息しているイグアナは、グリーンイグアナといってスリムで小型が多い。尻尾の先まで計ると六十センチから一メートルだ。体重は四から十キログラムぐらいだろうか。ギョロリとした眼、硬いよろいのような皮、頭から背中にかけた三角のひれが恐竜を思わせる。それでいてベジタリアンなのだ。大体が川べりの木の幹にへばりついていて実や葉っぱを食べているという。体が緑なのは保護色だ。イグアナは川の岸辺に穴を掘ってそこに卵を産むという。

イグアナの卵は、大変美味で栄養価が高く貴重だ。クラウディオは唇に手をやり、

「ムィ、サブローソ! ものすーごく、おいしいんだ」

と本当においしそうにいった。ただし、亀の卵と違い、イグアナが産み落とした卵には血が混じっていて、生臭くてたべられたものではないという。

「じゃー、どうやってそれがおいしいとわかるの?」

素朴な質問に、単純な答えが返ってきた。おなかの大きいメス イグアナを捕まえておなかの卵を取り出し、ついでにイグアナも食べてしまうというのである。

残酷でかわいそうな話を聞いてしまった。イグアナは保護動物に入っており捕獲禁止のはずだが……。

 クラウディオは、クナ族に対しては特別で、食用の捕獲が許可されているといった。彼らは太古の昔からイグアナを食し、保護し、共存してきたのである。

 好奇心がむくむくと頭をもたげ、

 「そんじゃー、イグアナには悪いけど一度行ってみようか。」

ただし、捕まえるのは一匹だけということにして、クナ族の自治区バヤノ湖の先、ふかーいジャングルの中、彼の生まれた故郷『ピリヤ部落』へ行くことを約束した。

 大体のクナ族は、カリブ海側のサンブラス群島に住んでいるが、他にもパナマの大陸のあちこちのジャングルの中の居留地に暮らしている。クラウディオは正式にいうと、『ピリヤ部落のクナ族のクラウディオ』である。

 

早朝五時、まだあたりが薄暗い中、クラウディオが迎えに来た。私たち夫婦のほかに、一緒に仕事をしてくれているスタッフ、パナマ人のリチャードとアンヘルも同行することになった。

この度の旅程どころか、イグアナをどこでどんなふうに捕獲し、どうやって食べるのかまったく聞かされておらず、ただ付いていくだけである。情報が少ない分、創造力が働く。前の晩、ニューヨークにいる私の娘のところにこの話を電話した。あまり乗り気なさそうに、

 「ふーん、そんじゃー、イグアナを捕まえたらクナ族は何か特別な儀式でもやるのかしらねー。」

 「そうだとしたら面白いね。あんたも見てみたい?」

 「うーん、あんまり。でも写真いっぱい撮ってきてよ。」

彼女は、マンハッタンの人間ジャングルの中で懸命なのだ。

捕まえたイグアナを囲んで、『いけにえの儀式』、『血祭りの儀式』そんなものがあればおもしろい、と一人ほくそえんだ。

パナマ市からずっと東のはずれ、ダリエン地域と接するところ、(ダリエンの先は南アメリカ大陸のコロンビアとなる)に位置するイペティ村に着いた。この辺りはクナ族やエンベラ族といった先住民族が多く住んでいる地域である。クラウディオの仲間数人がそこで合流した。乗ってきた車をイペティ川の桟橋付近に止め、降りようとしたら一緒に来たなかの一人から駐車代を要求された。

「えっ、だって日帰りでしょ。二十ドルは高くない?」

「この辺は物騒だ。何が起こるかわからない。俺がちゃんと見張るから安心だよ」

私たちは海で釣りをするときでも、舟で島へ渡るときでも、車を海岸に置いたままだった。誰からも駐車料金など要求されたことはなかった。しかし、このイペティ村はちょっと違っていた。なんというか…、そうニューヨークのハーレムのような雰囲気が漂うのだ。

コロンビアの奥地で栽培されてコカインとなる白い粉が、あらゆる手段を使って中米から北米へとひそかに運ばれる。カリブ海沿岸を航行するぼっこわれそうなボロ貨物船や国境のジャングルの陸路から。イペティはその通り道だった。限りなく胡散臭くダークなのだ。

やばい。ここはお金を払ったほうがいい、そう直感じた。

 

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 イペティ村の青年たち

 

ボートに荷物を積み込む。

イペティ川からモーター付ボートでバヤノ湖を横切り、さらに支流のピリヤ川に入る。

時間にして順調に行けば三時間ぐらいという。途中でイグアナを獲る計画で、それをピリヤ部落へもっていく。そこで料理してイグアナランチを食べる。その後部落などを散策し、帰路につく。

 クラウディオがボートの中で大まかな予定を話してくれた。

部落ではクラウディオのおばあさんが、我々が持ってくるイグアナを待っている。

「うちのばあさんのイグアナ料理は絶品だ。もう舌がとろけてしまいそうだよ」

駐車料金のことで気まずい雰囲気になったことなど頓着しないのか、あるいは気配りをしてか、陽気に話してくれる。彼の明るさに救われた。クラウディオの人柄を信じて私たちはついてきたのだ。この先ピリヤ部落がどんなところか、どんなことが起こるのか予想もできないが、とにかく彼に命を預けたのだ。

観光客はおろか一般のパナマ人も寄り付かない、秘境の部落へと進んでいる。