先住民族 エンベラ・ウンナン

 パナマ先住民族の代表として、クナ族と並ぶエンベラ・ウンナン族を紹介します。

 

f:id:shuasai1207:20200706171050j:plainエンベラ族の女性

 エンベラ族はコロンビア西部のチョコ地域に住んでいたチョコ族の分派です。チョコ族の源流はアマゾン川流域です。エンベラ族にウンナン族も一緒に住んでいますが、言語が違うことで分けられます。1700年代にコロンビアからパナマダリエン州に移住し始めたと記載されていますが、口承では16世紀、スペイン入植時にはすでに移住していたようです。そこにすでに住んでいたクナ族と争い、敗れたクナ族のほとんどは今のサンブラス州のカリブ海沿岸や、サンブラス諸島に追いやられました。それ以来、ダリエン州には一部のクナ族、エンベラ・ウンナン族が地域を分けて住んでいます。と同時にもう一つのグループがダリエン州に入り込んできました。それがスペイン入植時に労働力としてアフリカから連れてこられた黒人奴隷です。その一部がダリエンに逃亡して住み着きました。黒人逃亡民は川の河口に町を造り、クナ族は森に住み、エンベラ族は川に沿って暮らしています。エンベラ族にとって、川は魚取り、水浴、輸送、日常生活に重要な役割を担っていました。

f:id:shuasai1207:20200511164207j:plainエンベラ部族のハットハウス

 ところで、1950~60年代になって、キリスト教の宣教師の影響と当時のトリホス・パナマ大統領の介入で共同体を作って住むように勧められました。先住民族パナマ社会に編入、統合するためでした。共同体に学校や医療施設を造るということで拍車がかかりました。次第に、エンベラ族は川に沿った共同体を形成するようになりました。歴史的には、彼らは平等社会で首長を中心とした組織はありませんでした。ある宗教的信念を持ち、薬草や幻覚作用の知識を持っている呪術師である酋長が悪霊を払いのけたり、治療したりしていました。

やがて、共同体としての自治権を持つようになり、首長を中心とする政治的組織であるエンベラ、ウンナン共同体議会を設立します。酋長を各共同体の代表とし、その地方長官を共同体の年次議会の代表として選出しました。その先住民族自治区の設立を認めるかどうかをめぐって、パナマ政府は討議を始めました。ついに、1983年パナマ国会はダリエン州にある二つの地域をエンベラ、ウンナン自治区として承認しました。自治区の設立はエンベラ族にパナマの農民たちによる侵略、侵入から土地を守るために、土地の合法的所有の権利を与えたことになりました。指定された自治区はサンブー川とチュクナケ川に沿った二つの地域に割り当てられています。しかしながら、1979年のダリエンのハイウェイ建設以来、パナマ各地からの開拓農民がダリエンに続々と入り込み、貴重な森林を伐採し農地化し、さらに牧場へと変えていきました。それとともに、エンベラ族共同体が近代社会にアクセスできるようになると、川の流域から、パナマ人が造った町へ、あるいはパナマ市の近くの湖の側に住むようになりました。生活も川を中心とした漁業や狩猟から焼き畑農業へと変化しました。

f:id:shuasai1207:20200706172250j:plainエンベラ族の集まり

文化

  エンベラ族は川辺に住んでいる民族です。川によって生活が成り立っています。彼らの文化の中心は川です。また川には欠かせないカヌーは、彼らの伝統であり、宇宙観を表しています。伝統的にエンベラ族は、死者をカヌーに寝かせ埋葬します。カヌーを作る技術は重要なものです。良く作ることが男性にとって結婚できる大切な条件となっています。彼らはハットハウス(帽子の家)と呼ばれる、高さ3~4メートルの高床式住居に住んでいます。野生動物や洪水から家族や食物を守るためです。湿気の多いジャングルで少しでも風通しをよくするために壁はありません。屋根は椰子の葉で葺いています。床はヤシの木の皮の細長い一片を並べて敷いています。家は丸形で大家族を養うに十分な広さを持ち、台所は部屋の一つの隅に、泥でかまどを作り火を燃やします。家に登るための階段は丸太を階段状に削って使っています。家の周りに薬草を植えたり、食べられる野菜を植えます。高い家の床下には豚や鶏を飼っています。

f:id:shuasai1207:20200511170325j:plain高床式の家でくつろぐ

 近代になって、中米はキリスト教の宣教師の進出により、彼らの伝統的衣装、薬草による治療、ダンス、音楽、宗教儀式などが変化させられていきました。中米の国の多くの先住民族は半ば強制的にスペイン風に変えられましたが、パナマ政府は先住民族の文化、風俗習慣を変えさせることはしなかったため、伝統を守り続けてきました。エンベラ族の女性は上半身裸で、ヤシの繊維で作られたスカートをはいています。様々な色で、複雑に入り組んだ模様のビーズとコインのネックレスで胸を飾っています。頬や唇はアチオテの実から抽出した赤い色を塗ります。男性は腰布だけをまとっています。男性も女性もジャグアの実から抽出された染料で体全体を黒っぽい青色で覆い、この色はいつまでも消えず、儀式のときに用いられます。そして、顔の半分も唇から背後にかけてラインで塗られます。ダンスは公共的集会や儀式のときに行われます。踊りは動物の動きからインスピレーションを得ていると言われています。

f:id:shuasai1207:20200706172811j:plain手芸品カナスタ

 エンベラ族はクナ族と同じようにとても芸術性に富んだ民族です。特に三つの代表的な芸術品があります。

一つはカナスタという、ヤシの木のチュンガの皮の繊維から、水も漏らさないように編まれた籠です。繊維は乾燥され、木から抽出された染料で、赤、黄色、緑、青、赤紫色などで染められます。模様は伝統的な幾何学的模様や動物、作者の創作が表されています。世界で最も美しい芸術品と評価されています。

二つ目はタグアという椰子の木の実に彫り付けた彫刻品です。タグアは16世紀中頃からダリエン、コロンビアで彫られ、生活用品に用いられていました。タグアは5センチ四方ぐらいの大きさで、非常に硬く、木の象牙と呼ばれています。タグア彫刻は彼らの伝統文化に根差しています。呪術のための宗教的道具としても彫られてきました。主に、鳥や動物などをかたどって彫られますが、その細密さは、芸術家の間で高く評価されています。例えば、アリが葉を運んでいる姿は足の一本一本まで正確に彫られていて、その精密さに感動させられます。近年、観光客が増えるにつれ、タグア彫刻は男らしい職業として発展してきました。タグア椰子は以前はダリエン地域全体に繁茂していましたが、農民や牧場業者の侵入や道路建設による森林伐採によって低地ではほとんど見られなくなってしまいました。

f:id:shuasai1207:20200708143655j:plainタグワ彫刻

三つ目はココボロの木の芸術です。ココボロは非常に硬く、耐久性があるので、一世紀以上前から用材は輸出品となっていました。また極端に硬い性質は彫刻や楽器の器材や家具など作るのに役立ちました。ココボロの木は赤、茶色、バラ色、黒と色々な色を持っています。木に土や灰、おがくずを混ぜて、沸騰させて茶色、黄色、チョコレート色、黒色を作り、カナスタの染料にします。タグアと同じようにココボロ彫刻は完全に男性の仕事です。伝統的に、エンベラ族はステッキを掘り出し、それを呪術師が治療のために用いていました。ステッキはいろいろな顔や人形の姿をしており、北米先住民族のトーテムポールを思い出させます。

彼らは日雇い労働や、農業のプラタナ、コメ、トウモロコシなどの収穫ではわずかな利益しか上げることができないので、カナスタ、タグア、ココボロといった手芸美術品は重要な収入源になっています。そして、注目されることは森林を伐採して用材にするのでなく、森林の収穫物から芸術品を作るということです。森林を利用することによって生態系を維持することにつながっていることです。つまり、森林を残すことになっているのです。パナマ政府は彼らの森林から芸術品を生産することを保護の計画の中に含めるようにしました。1981年、ダリエン州のコロンビア国境近くの広大なジャングルがユネスコ世界自然遺産に指定されました。その一部にエンベラ族が居住し、森と共存生活を営んでいます。

 f:id:shuasai1207:20200708143455j:plainココボロ彫刻